ここでは、ONION softwareの今では見ることのできない、昔の作品を展示しています。 知られざる ONION softwareの歴史を紐解くための資料を、そっとここに集めてみました。 それぞれの展示物といっしょに、その当時の裏話や思い出などが語られています。 時代とともに変わってきた作品をお楽しみいただけると嬉しいです。
"Balance Chair Demo" / NEC PC8001
(SEAGULL INC./Matsuya Ginza 1980)
ONION software という名称はいつ頃から使われていたのでしょうか?
正確にはわかりませんが、この"Balance Chair Demo"が製作された当時には、
すでに使われていたようです。
このソフトは、都内にある、とあるデパートの売場で「バランスチェア」というノルウェーの椅子を道ゆくお客さんに
紹介するためのもので、当時中学生だった私がなぜか依頼されて作ったものです。
このデパート向けにはその後も、「鬼くじ運だめし」というくじ引きソフトを作りましたが、
私自身は結局このデパートに行く機会がなく、実際に現場でどのような状態で動いていたのかはわからずに終わりました。
今にして思えば、160x100という貧弱なグラフィック機能で、パンフレットを見ながら描かれたドットで表現されたデモの内容がどれほど人々に伝わったのか謎ですが、
とりあえず当時は珍しかったから目は引いたのかもしれませんね。
"SLENDER ISLAND" & "Prohibition Island"/ NEC PC6001
(ONION software/PAX SOFTNICA 1983)
「スレンダーアイランド」は、その当時ホビー向けパソコンとして人気の高かったPC6001用の横スクロールシューティングゲームとして発売されました。
この頃に作られたゲームは、ISLANDシリーズと銘打ってタイトルに必ず「アイランド」を入れていました。この「SLENDER ISLAND(細長い島)」と「Prohibition Island(禁断の島)」の他にも、
工学社の「I/O別冊」に掲載された「ISLAND ESCAPE(島脱出)」や、同人ソフトとして発表した「Wonder Island(不思議の島)」などがありました。
「Prohibition Island」は、その後「Cyber Village」と名前を変えて、とあるアドベンチャーゲームコンテストで入選したのですが商品化はされていません。
当時、AppleIIで海外のゲームにかぶれていたため、その影響が随所に見ることができます。
なぜ、これほどまでに「島」にこだわったのかは…思い返してもわかりません。何か悪い熱にうなされてたのかもしれませんね。
"ONION HOUSE" / NEC PC6001 & PC8801
(ONION software/MIA 1984)
「ONION HOUSE」が製作されたのは、上の「SLENDER ISLAND」よりも前なのですが、製品として発売されたのは、こちらの方がずっと後になります。
このソフトは、もともと「CIRCUMFERENCE」というタイトルで持ち込んで、発売される予定になっていたのですが、その後いつまでたっても発売されず、連絡もなかったので「出ないかな…」と諦めていたのですが。
…ある日、ショップのソフト売場でなにげなく新作ソフトを見ていたら、やけに自分の作ったソフトに似た画面が出ていて、よくよく見たら自分のだったという不思議な体験をさせてくれました。
しかも、自分が持っていったのと違う会社から発売されていたことに加え、
作ったのはPC6001用だったのに、なぜかいっしょにPC8801版まで発売されていて二度びっくり。
よく見ると、タイトルが「ONION HOUSE」という謎の名前になっていてパッケージにはタマネギっぽいキャラクターが…。
あまりのことに面白くなってしまって、早速買って帰ったのでした。それにしても、これをPC8801に移植してくれたのは誰だったんでしょうか。資料もなくて、よくできたと感心してしまいます。いや、ほんまに。
持ち込んで何年か後に別名で突然商品化されたものは他にもあり、セントラル教育から発売された、「モンテカルロ・ラリー(Cross Country Alien)」「ロボット・ボンバー(RB-1710)」もそうでした。ゆるゆるですね。
"まじゃべんちゃー/ねぎ麻雀" / NEC PC8801
(ONION software/E.NAO/Technopolis soft 1984)
最初は同人ソフトとして細々と出していたものが、市販され、やがて色々な機種に移植と…様々な展開をしたソフトがこの、「まじゃべんちゃー」でした。
脱衣麻雀は、当時すでにありましたが、プレイヤーが「ツミコミ」を選択できるという機能は、これが初めてなのではないかと思います。
最初仲間内では、「ねぎ麻雀」という愛称で呼ばれていましたが、ある日、X1でソフトを製作しているURIさんという方が、「これは、まじゃべんちゃーだよ。」と言ったことから、タイトルが決定されました。
このソフトは多くの人たちの協力を、わりといい形で得られたという印象があります。
すごい勢いで絵を描いていった江南 直緒さん、牌のキャラクタやタイトルロゴを作成したOXYGENさん、
さらにDOSやグラフィック周りのハードウェアに近い部分、役判定(最初は私が作って、すごい間違った点数や役が出たりしてました…)などに神たまさんや、XKDさん(故人)。
それぞれ得意な人に作ってもらえたのでラッキーでした。なぜラッキーかと言うと、協力してくれたのが、みんな揃いも揃って(この麻雀の敵キャラクターのモデルになっているくらい)
我の強い個性的な人たちだったからです。今思うと、雑誌のインタビューを受けていても(受け答えをしながらゲームで遊んでました)、
編集部を訪問しても(怒られて追い出されました)、あまりに自由奔放でさながら「ならず者部隊」といった感じでした。
逆にそういったパワーはソフトから感じられるかもしれませんね。
私が手がけたのはオリジナルのPC8801版のみで、
その後SHARPのX1版、PC9801版と移植され、ついにはMSX版(頓挫したらしい)、ファミコン版(中身は別モノ)、おんせん麻雀(続編らしい)へと内容をアレンジしつつ続いていきました。
「まじゃべんちゃー30周年を迎えました(おにたま(オニオンソフト)のおぼえがき)」、
グラフィックを担当した江南 直緒さんのサイトでも、詳しく解説されています。
"りみちゃんの危険な夜" / NEC PC8801
(ONION software/Y-JINN 1986)
市販ソフトではありませんが、パソコン系雑誌だけでなく、一般誌でも取り上げられるなど、結構流通していたと思われる作品です。
Y人さんが描く"りみちゃん"を、ただひたすら追いかけ続けるアクションアドベンチャーゲームで、
多彩な面構成と、シンプルながら選択によってストーリーが(若干)変わるという仕組みは、「まじゃべんちゃー」から引き継がれています。
開発は、困難を極める…ことはありませんでしたが、当時安いアパートで一人暮らしをしていたため、
テレビもなく電話もない環境の中、生活が困難を極めていました。
また、大量の通販申し込みが殺到して対応に追われるなど、開発以外での苦労が思い出されます。
しかしながら、大変なことばかりではなく、アンケートやお便りなどもたくさん寄せられ嬉しい面も多々ありました。当時頂いたお便りは、まだ大切に保管しています。
また、イメージスキャナが高価だったため、同じく同人ソフトを製作していた「帝国ソフト」さんの所で原画をスキャンさせてもらうなど、かなり多くの方々の協力でできあがっています。
"ザ・スキーム" / NEC PC8801
(S.Hayashi/BOTHTEC 1988)
1988年にBOTHTECから発売されたソフト。500画面以上ある広大なマップと、高いアクション性を持ったゲームです。
古代祐三氏によるサウンドは、今もなお多くのファンを持つ名盤となっています。
このソフトは、タイトルクレジットにオニオンソフトと表示されるものの、デザインやサウンドを除いて、ほとんどの部分をS.Hayashi氏が個人で作成しています。
仲間内でテストを繰り返しながら長い期間をかけて作成された作品で、その遊び心はマニュアルの敵キャラクター紹介などに見ることができます。
また、「りみちゃんの危険な夜」と同じ方法でキャラクターの合成を行なっていたこともあり、同じ敵キャラクターが出てきたり、動きがユーモラスだったりと不思議な雰囲気を持ったゲームでした。
後に、同人ソフトとして「Wanderers from Super Scheme」が同じメンバーで作られたました。
"おんなのこけーさつたい" / NEC PC8801mkIISR
(ONION software/Y-JINN/Tokuma Shoten Intermedia 1988)
「ねぎ麻雀」に続く新作として、「ねぎ戦略」というサブタイトルがついたストラテジック・アクティブRPG。
ということで作りはじめたのですが、どうも戦略というよりもお気楽に楽しむ感じのゲームになっています。
主人公のキャラクタは自分で操作できますが、それ以外の味方キャラクタは大まかな指示を出した後は
基本的にすべてキャラクタごとに勝手に判断して行動するというかなりフリーなオートバトルで、
各キャラクタが臆病だったり、命知らずだったりと人間味あふれる行動を取るのがウリの1つでした。
町にいる人々も自分の判断で何らかの行動をしていて、プレイヤーが近づくと話かけてきたり
(そのためプレイヤーが「話す」といったキーやコマンドは存在しませんでした)、逃げたりするほか、
すべてがリアルタイムで動いているので、誰かと会話している最中に相手を攻撃できたり、立ち去ることができるなどの妙な部分が持ち味でしょうか。
女の子絵は、りみちゃん~に続いてY人さんが担当しています。アニメーションや、アナログパレット対応など結構無理なお願いをしていた気がします。
このソフトを作っていた当時は、発売元で出している「テクノポリス」という雑誌に「開発室日誌」という情報ページがあり、開発の状況とかをレポートするハズだったのですが、
その情報ページのレイアウトと構成を全てまかされた私は勢い余って、読者イラストコーナーは始めるわ、謎の人生相談コーナーや連載企画を始めるわで、
かなり浮いたページになってしまいました。あんなことしちゃって…良かったなぁ…。
"香港" / GAMEBOY
(ONION software/Tokuma Shoten Intermedia 1990 Licensed by Nintendo)
初めてゲーム専用機向けに作った作品。
正確には、すでにあるゲームの移植作でしたが、専用機ならではの色々な制約、決まりごとを覚えられて勉強になりました。
ゲームルール以外は、何をやってもよかったので結構楽しく作れた気がします。(時間の制約がきつかったですが。)
面クリア時に、Y人さんによる女の子が出てきたり、ボタンを押しながら電源を入れると別なゲームが遊べたりと、色々とやっちゃってました。どのくらい売れたのかわからないけど、多分レアなソフトだと思います。