・100円ディスクとは…

100円ディスクは、1986年〜1990年にかけてNEC PC8801シリーズ用の 同人ソフトとして製作され、主にコミックマーケットを中心に販売 されました。価格はもちろん100円で、毎回複数の作者の作ったゲーム などが収録されているオムニバスディスクという形態を取っていました。 当時、同人ソフトを多く取り上げていた雑誌、「テクノポリス(徳間書店 インターメディア)」も通販ができないことと、実写の題材などを扱って いて危険な内容だったため、雑誌に掲載されることはありませんでした。 しかし、その価格からは考えられないほど質の高いな内容と、豪華な スタッフが参加していることが知られ、知名度、販売数も驚くほど高 かった伝説のソフトです。 100円ディスクは1986年のパート1から始まり、合計パート7まで作られ ました。いずれも当時としては最先端の技術を使って、くだらないもの を作って笑い飛ばすというコンセプトが見え隠れする傑作ばかりです。 最初の100円ディスクが登場してから、今年で10年が経ちますが、その センス、演出、デザインなどは今も輝きを失うことはありません。

・おにたま氏、100円ディスクを語る

100円ディスクは今にして思えば、ものすごい冒険でした。 最初の100円ディスクは、CAT soft(DRIPDROP)こと「しゃの よかいち」 氏が、小さなプログラムを集めて100円で売りたいと言ったことから 始まっています。「小さなプログラム」とは、単体ではとても売り物に ならないような出来そこないのソフト…となる可能性がある反面、 実は、完成度を気にする必要がない、作りたいものがすぐ作れる、大が かりな計画の必要がない、小人数で作れる…など、まさに同人ソフトに 向いている条件がそろっていたのです。 その結果、力をもてあました若者は暴走して、「小さなプログラム」が、 いつのまにか、「内容はあるが、サイズは小さなプログラム」へと変わっ ていったのでした。 実際、力にまかせて1日で作ったソフトも少なくありませんが、時間を かけて作られたものもあります。朝起きて、100円のソフトを作って、 寝て…また朝起きて…という生活を犠牲にした時もありましたし、徹夜 が続いて、フラフラになって車を運転して小ワープを繰り返していた こともありました。それもこれも…まさに若者の暴走。 いくつか、作った時のエピソードなど…。

100YEN DISK1
この頃は、同人ソフトのコピー問題というのがホットな話題でした。 同人ソフトをコピーして安く売りさばいている人がいるという話を聞 いて、どうすればいいかを考えていたのです。その1つの答えが、ソ フトをまず100円というギリギリで売って困らせる、というのと、100 円ディスク1枚1枚にシリアルナンバーを書きこんでおき、買った人す べての名前と住所を書いてもらい、コピーが出まわった時に特定をす るというアイデアでした。このパワフルな計画は実際に実行されまし た。その結果、シリアルを1バイトにしたために100円ディスク1は、 256枚しか生産されず、また、名前と住所を一人一人に書いてもらっ ていたために、サークルの前に長い列ができてしまうという無軌道な 若者らしい事態を引き起こしました。その後、コピー問題はうやむや になり、結局シリアルや控えの住所もどこかに行ってしまうなど、無 軌道にオチがついています。 100円ディスクの実現には、もう1つ技術的にクリアするべき問題が ありました。DOS(今で言うMS-DOSのようなもの)の問題です。当時 の同人ソフトは、ディスクがらすぐに起動させるために市販のDOSや、 NECのDOSを無断で使用しているものが少なくありませんでした。 同人ソフトのコピー問題を指摘しても、自分たちがDOSをコピーして 使っているのでは…という問題がありました。これを解決したのが、 goodこと、神たまという人物でした。そして、彼の作ったオリジナル のDOS、「ALPHA-DOS」が初めて搭載された100円ディスク1は、高い な技術と人の思いに支えられて船出をしたのでした。

Shooting master'86
これはかなり思い出深いソフトです。当時、YK-2こと古代祐三氏が、 PC88のBASICで音楽を演奏させていたのを見て、なんとかこれをBGMに シューティングができないだろうかと思い悩み、かなり強引なワザで 作ったソフトです。技術的な話になりますが、通常は一定時間ごとの 割り込みプログラムというので音楽を演奏させてメインプログラムは シューティングゲームという形になるのですが、このソフトだけは、 メインプログラムが音楽演奏で、一定時間ごとの割り込みプログラム でシューティングが動いているというイレギュラーな処理を行なって いるのでした。他にも色々なデモとかも作ったんだけど、ディスクの 容量が足りなくて泣く泣くカットした部分もありました。

カルレロア / Karleloa
100YEN DISK2 から、音楽ドライバーが投入され、技術的にも大きな 進歩をしました。カルレロアは、画像取り込みなど新鮮な技術を使い つつも、結局取り込むのは高橋名人やNHKアナウンサーなどで、まさ に無駄な技術の結晶でした。この頃は、埼玉の家賃17000円というボ ロアパートに住んでおり、テレビも電話もない生活をしていました。 ところが、外界と遮断されると、作業の進むこと進むこと。自分の世 界に行きっぱなしになれる貴重な時期でした。

ローゼン博士の遺跡探検
ファーファや渦巻ゲーム(ランボー)など、実際にあるキャラクタに 刺激を受けて作ったゲームも少なくありません。このローゼン博士も あまり知られていませんが、他の人が作ったキャラクタです。 この作品のテーマになっている「ギガイコツ」という物体は、実はカ トウ工業という企業が作ったアミューズメント機械、「ギガイコツ」 のことなのです。これは、実際にはショーでしか見たことがないので すが、巨大な頭蓋骨の形をした部屋の中に入ってイスに座って奇妙な 体験をするというアトラクションで、ゲームセンターやデパートの屋 上に置くためのものらしいのですが、中に入るとローゼン博士なる人 物が遺跡を発見してうんぬんというナレーションがあった後、こわー い音が流れはじめ、突然、座っていたイスが1段下がるという、何と も意味不明なマシンでした。これに、ただならぬ魅力を感じた私たち は、それからしばらくギガイコツの虜になってしまうのです。 そしてこの感覚が、やがてCATTLE MUTILATIONに引き継がれていくわ けですね。

ハルマゲーム
このソフトは100円ディスクの中でも最大の問題作、事情を知ってい る人にはシャレにならないものでしたが、何も知らない人にはサッパ リ意味不明かもしれません。このソフトに出てくる人物はすべて実在 の人物、実話をもとに構成された実写の映像は不思議な迫力がありま す。当時、とある市販ソフトを開発するために作られた、マンション の一室に作られた開発室、そこがいつのまにか溜り場となり、同人ソ フトまでもが作られるようになっていく経緯をかいま見ることができ ることでしょう。

THE BUSY HOME TOWN
100円ディスクは、No.4あたりから色々な問題を抱えるようになりま した。まわりの期待もあって、ゲームがだんだんと大作志向になり、 当初の目的からは離れてしまってきていましたし、初期のメンバーも 100円で売ることに疲れ、単体の作品を作るようになっていきました。 何しろ本当に赤字ではないにせよ、利益がスズメの涙ほどだったので、 即売会の帰りに食事をしてチャラだったのです。 100円ディスクのようなくだらない内容のディスクにも、そんな経緯 とともに方針を転換をせざるを得ない時期に来ていました。そして、 新しくなって…少なくとも、内部的には新しくなって登場したのが10 0円ディスクNo.5です。これ以降は、プロ・アマを問わず外部の人の 参加も積極的に呼びかけ、より充実した内容を目指して製作されるよ うになりました。

そんな100円ディスクも、時代の流れとともにNo.7で終了、PC8801が 台頭していた時代も急速に去っていきました。 ほーら、なんとなく歴史があるように見えるでしょ? 100円のディスクにも五分の魂が…。         (おにたま)

・T.Anazawa氏、100円ディスクを語る

100円ディスクっていうと、なんか尋常じゃないことばかり思い出します。 コミケ当日ぎりぎりになってやっとマスターディスクが上がるもんだから すんごい修羅場のなかで何百枚もデュプリしちゃったり、 しかもソ○マップのノーブランドディスクだもんだから エラー率が異常に高くてはらはらしたり、 間に合わないからとりあえずデュプリできたものだけ搬入して 残りは後から持っていったり、 ディスクシール作る時間がないからシール貼らずにそのまま出しちゃったり、 そんでまたお客さんがすごい行列をつくっちゃったり・・。 あんまり尋常じゃないんで遠巻きに見てようかと思ったりしたけれど、 やっぱり渦に巻き込まれてぐるぐる回っちゃう。うきーーって。 なんだかんだ言って結構楽しんでいたのかもなあ。 それにしても、渦の中心ってすさまじく大変だったんじゃない? あんがい台風の目みたいに一番穏やかだったりして・・(笑)                          (Ana)

・USUAJI氏、寿司ゲームと100円ディスクの歴史を語る

虚空にむけて、男は語った。
「並寿司5人前食いてぇなぁ。」
夕方の京王線上り各駅停車には、まだ人もまばらで、私は隣に座った男を見た。 男は虚空に向けて語っていた。 何も、食いたがるだけなら並寿司でなくてもいいのに。

男は今、何をしているだろう。 10年前の京王線で、並寿司を食べたがった男。 労働者風の体裁で汚れてはいるが、けして異臭を放っているわけではなく。 ただ淡々と自分の世界を構築する男。 気がつけば、男の発した言葉に突き動かされてきた。 男との出会いの後、私は会社を辞めて同人ソフトを作った。 それが、最初の‘寿司ゲーム‘だ。 次々と落ちてくるカタカナの寿司ねたを拾い集めるゲーム。 シンプルすぎるし、技術的な工夫もなかったゲーム。 おとこの言葉に支配されて、つくらされたゲーム。 最初の寿司ゲームは100円disk2に収録された。 カタカナの寿司ねたが落下し、それをとる。 このゲームで、文学的な表現の可能性を感じた。 つぎに私はファミコンゲーム、”マグマプロジェクト・ハッカー”を作った。 このゲームはRPGで、その時は単なるプログラマーだった。 しかしながら、街を歩く男の一人に、こう言わせた。

「並寿司5人前食いてぇなぁ。」

もうすでに、男の言葉から、逃げられない。 並寿司を欲しがる男、並寿司男。 私は作り続けた。男が次のゲームを望んだ。 VA版寿司ゲームだ。 落ちてくるねたが漢字で表示された。ただそれだけだ。 これは、100円disk3に収録された。 並寿司男は、まだ満足しなかった。 私は、98版寿司ゲームを作り、98・100円diskに収録した。

100円disk4では、ふぁーふぁゲームを作った。 作ったといっても、絵を描いて作詞をしただけだが、コンピュータでできる 新しい表現を見つけることができた。 後に、この歌は”まにきゅあ団”によって再び日の目を見ることになる。 かわいいハズのぬいぐるみのくまが、柔軟仕上げ剤を宣伝するという、 アバンギャルドなCMにインスパイアされてつくった。

しかし、次の100円disk5では、また並寿司男が夢枕に立った。 むしろ、この時すでに私は並寿司男になっていた。 私は”寿司パズル”を作った。 伝統的な魔法陣というタイプのパズルに寿司のキャラクターをあてはめただけのゲー ムだ。 100円disk6ではさらに、このゲームの面を新規に作成したバージョン、 ”スーパー寿司ゲーム”を作った。 そのあとに、このパズルゲームの系譜は同梱の”寿司パズル for Windows”に結実す る。 問題は、ゲーム中のパズルのスペルが間違っていることだ。 結論から言うと、このゲームのソースは無くなってしまった。 当初、VisualBasic2.0で作成し、シェアウェアとして登録したこの ゲーム。 95年年末の即売会向けに作り替える際にBASICを新しいバージョンにしたら、 バックアップの失敗でソースはVisualBasic4.0用のソースに書き換わ ってしまった。 ソースはもうないので、スペルミスが直せない悲しいソフト。 そして、最新バージョンはあまりにも必要なファイルが増えすぎて、ネットワークで 配布できない状態だ。

もう一つの系譜、”寿司ゲーム”では、98用のグラフィックを使った寿司ゲーム を発表。 数年おいてMac用の寿司ゲームを発表した。 現在、Mac用のものは私のホームページからダウンロードできる。 ホームページは寿司だらけになっている。

あまりのも沢山の寿司ゲームを作った。 そのゲームの行方は私の人生そのものだ。 バージョンアップしたがために配布できないソフト。 戻りたくても戻れない10年前の京王線。 もう1つ後の車両に乗っていれば、この文章もすべての寿司ゲームたちも存在しなか った。 寿司ゲームたちを見て、人生に影響を受けた人がいるのだろうか? もし、一人でもいれば、私は並寿司男としての任務を終えたといえるかもしれない。 私の中の並寿司男は満足したのだろうか? 今でも、あの京王線の風景がよみがえってくる。 男は今でも語っている。

「並寿司5人前食いてぇなぁ。」                       (うすあじ)