新潟遊園を探して…
onion software/onitama 1992



新潟遊園は、観光ガイドにも、観光案内にも載っていない
遊園地です。しかし、私たちは電話帳に載っているのを偶然に
発見してしまいました。それからです、私たちの旅が始まったのは。






私たちは、新潟遊園の住所を頼りに車で、新潟県のはずれに
向かいました。しかし、行けども行けども田圃や畑がある
ばかりで、とても遊園地がありそうな場所には見えません。

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しかしその時です。道路の脇に、小さな看板があるのを発見
しました。そこにははっきりと矢印と新潟遊園という文字が書かれ
ていました。私たちは、その看板の方向に進むことにしました。

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新潟遊園へ向かうと看板が教えた道は、農耕車優先の道路でした。
そして、道路はいよいよ険しくなり人の気配がなくなって
いきます。私たちは、不安と動揺をかくせませんでした。

§



しかしその時です。山道の脇に、ふたたび看板を発見しました。
新潟のはずれの山奥に遊園地が…。私たちは、しかしまだ、
本当に新潟遊園があるのかどうか半信半疑でした。

§



私たちは、新潟遊園の駐車場と書かれた看板の示す道を進み
ました。そこには、駐車場のイメージとは程遠い、ただの平原が
あるだけでした。人影はなく、他の車も見あたりません。

§



しかも、駐車場はそのまま崖に続いており、柵もなく、あるのは
ただ雄大な大地だけでした。新潟遊園とは何なのでしょう。本当に
遊園地なのでしょうか。その時、一人が大きな発見をしました。

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地面をよく見ると、ゴミがちらばっていました。ということは、
人がここに来ていたということでしょうか。さらに、私たちは地面
に捨てられた謎のジーンズをも発見しました。

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さらに奥には、なんとマネキンが捨てられていました。
深まる謎に対して、一人はこんな推理をしました、
「ここで、ヘビメタの集会が開かれていたに違いありません」と。

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ついに一人が、新たな新潟遊園の看板を発見しました。駐車場の
反対側にあったために死角になっていたのです。しかし、その大き
な看板は書いてある内容が消されていて読むことができません。

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しかし、私たちは皆、核心に近付いていっているのを感じて
いました。その看板の奥にこそ、新潟遊園があるに違いないと
信じていました。ところが、意外にもその先は平原だったのです。

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最大の手がかりである、大看板の奥も広大な平原でした。ただ
1つ最後に残された可能性は、進入禁止の標識が立っていて、山の
上に続いている細い道だけでした。私たちはそこに賭けました。

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「あ…あった!」 山の上まで登ってみると、そこに突然建物が
現われました。入口と書かれたゲート、入場券売場。それはまさに
私たちが探してきた、新潟遊園そのものだったのです。

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私たちはついに、新潟遊園の入場口にやってきました。しかし、
客の姿どころか、入場券売場にさえ人がいません。私たちは、
とりあえず中に入ってみることにしました。

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新潟遊園には、わずかながらの遊戯施設がありました。それも、
バッテリーカーなどの低予算なものばかりです。そしてついに、
私たちは中にいた経営者に会い、新潟遊園の正体を知りました。

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新潟遊園とは、ただのチューリップ農園だったのです。シーズン
になると、子供たちがチューリップを見ながら遊ぶ遊園地だったの
です。私たちは、その一角にあるゲームコーナーへ向かいました。

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私たちは、ゲームコーナーの中に入ってショックを覚えました。
そこには、ブラウン管とは無縁の60年台の機械じかけのゲーム、
そして乗物しかなかったのです。

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私たちはゲームコーナーでひとときを過ごしました。往年の名機
「チューハンター」など多くのゲームが、いったいどれだけの間、
新潟遊園で稼動していたのかを考えると、恐ろしくなります。

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そして私たちは、新潟遊園を後にしました。幻の遊園地、
新潟遊園の旅はこれで終わりました。心地よい疲労と安堵感が私
たちを包みます。気がつくと、新潟の日が沈もうとしていました。

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